top of page

第3回コテキリの会|報告
登壇者・参加者の声

登壇者からのメッセージや質問への回答、

参加者の皆様からお寄せいただいた

情報・質問・感想等をご紹介いたします。

同志社大学古典教材開発研究センター

第3回「古典教材の未来を切り拓く!」研究会(コテキリの会)「古典好きの生徒を増やしたい!」
 

■日時 2021年9月12日(日)13:00~16:00
■場所 Zoomによるオンライン

登壇者からのメッセージ

●仲島ひとみ
 「古典の授業を楽しいものにしていこう」という方向性が共有され、様々な実践のアイディアが交換される場のエネルギーに大いに刺激を受けました。楽しい時間でした。ありがとうございました。

●三宅宏幸
 ごく簡単にですが古典籍に関するデータベースを紹介しました。あくまで一例ですが、できるだけこれまでの教科書と関連づけられる作品を扱いました。それは現職の先生方がご多忙のあまり、教材研究の時間を捻出するのも苦労されていると伺ったこととも関係します。こういったデータベースを利用し、少しだけでも教科書を補足する資料の存在を知って頂けたら幸いです。今回はご参加頂き、また色々とコメントも頂戴しまして、誠にありがとうございました。
 なお、国文学研究資料館に国語や日本史の授業に使える古典籍が紹介されています。https://www.nijl.ac.jp/koten/image/
情報、ありがとうございました。

●有田祐輔
 クラス開きの際、学校行事前、生徒には「様々な個性、価値観、視点を持った仲間と一人では成しえないことができる。思ってもみなかったようなおもしろいことができる。これが全日制高校の良い所でもあるんだよ」という話をします。今回、コテキリの会に参加して、皆同じ「古典の授業をもっと楽しく!」という方向性を共有しながら、それぞれが現場で「あの手この手」を尽くしている実践例や、明日から使える古典籍のデータベースの在処や、学生さんたちの斬新でキュートでおもしろい取り組みを知ることができました。「コテキリ」=「古典教材の未来を切り開く」。様々な現場で日々七転八倒しながら古典に向き合う仲間がいて、それぞれの視点、経験、スキルを共有し、皆でより高い次元を目指そうとするところに古典教材の未来は「切り開かれていく」のではないかと、身をもって感じた、心が震えた、数時間でした。ありがとうございました。
 
●岩崎彩香
 「古典をトモダチにするには」というテーマでしたので、本文読解や文法事項の学習以外の部分にスポットを当てて実践報告をさせていただきました。私も、普段の授業では大学入試を意識した本文読解が中心になっているという現実はあります。しかし、どうしたら生徒がより古典の世界を楽しめるかという工夫(内的動機付け)はどの学校であっても必要だと感じております。今回は時間の制約もありましたので、なるべく多くの実践内容を簡単にお伝えするに留まりましたが、普段の授業の中でこうした体験型の学びを「ここぞ!」という場面で取り入れることが重要かと思います。参加させていただき、私自身の学びとなりました。ありがとうございました。

●江口啓子
 古典は本当に必要なのかということを問われる時代において、なぜ古典を学ぶのか、何をどのように学ぶのか、あらためて考えていく必要を感じています。私自身も試行錯誤の連続ですが、今回の会に参加して、古典教育を前向きに変えていこうとされている先生方が全国にこんなにもいらっしゃるのだということを知って、大変心強く思いました。日々の仕事に追われる中で、新しい試みに挑戦するのは本当に大変ですが、大いに励みになりました。そして、こうした前向きな教員たちの姿勢こそが古典好きの生徒を増やす結果に繋がって行くに違いないと感じました。今回は本当にありがとうございました。

●谷口悠・上久保咲穂・三田村幸菜
 古典好きを増やすにはどうすればよいか、各先生方の実践を聞くよい機会となりました。活用表を見ながら本文を読んでいく過程がくずし字をくずし字一覧表を見ながら読んでいく過程と共通していることに気が付きました。くずし字の教材開発は、国語教育内でもまだまだ発展途上であると思いました。秋学期に向け、良い刺激となりました。ありがとうございました。(谷口)

●加藤直志
 オンラインでの司会は難しかったですが、登壇者や参加者の皆様のご協力で何とかなりました。ありがとうございました。今回は「いかに興味を持たせるか」という話が中心でしたが、その先の指導のあり方などについての議論も必要であると思っています。


◉関係者による総括・参加記

●山田和人 総括(facebook)

​●飯倉洋一 古典をトモダチにするには?|コテキリの会参加記(ブログ)


最初に戻る

ご質問への回答

◉基調講演への質問
WEBフォームへお寄せいただいたご質問への登壇者からの回答です。

●某府立高校に勤めています。高校に解体新書の初版本がありまして、私が赴任する以前に全頁をデジタルアーカイブにしています。(中略)仲島先生が模索されたとおっしゃっていた解体新書の授業、詳しくお教え頂ければ幸いです。

仲島 当日もお答えしたように、『解体新書』の授業を考えていたというのは私の知っている他校の先生なのですが、初版本をお持ちであるというのはすばらしく、それをみんなで解読してみるといった授業ができたら楽しそうだと思います。ぜひやってみてその様子を教えてください!

●今回は古文について、ですけれども、実際、先生は現代文も漢文も教えられているということで、「必要なのかと言わせない」という今回のテーマにおいて、なにか共通すること、違う点など、日常感じている部分があれば教えていただきたいです。

仲島 漢文は入試の出題が減っていることもあり、古文以上に必要性を疑問視されているかもしれません。しかし、漢文訓読が現代に至る文体に与えている影響を考えるとむしろ漢文が重要なのでは?と思いますし、英語とも日本語とも異なる類型の言語を学ぶ機会としても貴重です。一方、現代文に関しては必要性を問われることはそれほどないように感じます。「国語」という教科自体の重要性にはある程度のコンセンサスがあるのだとすれば、教科の内実をどのように定義するかというのが議論の焦点かなあと思っています。

●源氏物語の翻案を扱ったという授業について詳しく教えていただきたいです。何の巻とか、誰の訳とか。お願いします。

仲島 若紫の一節(源氏が訪ねてきて直衣の方がいらした、と言うあたり)で、学校の図書館などで手に入るものを集め、選ばず一通り配りました。谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴、田辺聖子、橋本治、中井和子(京ことば訳)、角田光代、林望、新潮の集成と新全集の訳注、英語ではサイデンステッカー、タイラー、ウェーリーといったあたりです。現在ならいしいしんじの京ことば訳やウェーリー版からの再邦訳なども出ていて面白いと思います。数が多ければいいというものでもありませんが(笑)、並べるだけでも面白いですし、自由さも感じてもらえるかなあと思います。

●翻訳・翻案チャレンジについて質問です。自分なりの表現を最後のゴールとしていらっしゃいました。そのゴールで、生徒がどのように文や絵で表現したか、具体的にお伺いしたいです。

仲島 具体的な作品をご紹介することはできないのですが、かなり直訳に近いものを作る生徒もいれば、絵文字を入れた若者のしゃべり言葉のような表現をする生徒もいました。全員の作品を文集にして共有したりしました。

●今回ご紹介いただいた授業実践は、特に「古典に親しむ」といった観点からのものであったかと思います。しかし、公立高校などの入試に向けた学習では点を取るための授業も不可欠で、ある程度の(忌避されるような)暗記作業もなくてはならないかと思います。入試のための(テストで点数を取る)授業でなにか工夫していることがあれば教えていただきたいです。

仲島 品詞分解をして現代語訳して…という授業も普通に行いますが、解説をただ聞いてもなかなか力は付かないので、いかに自分でやってみてもらうかということを考えています。本当は全員が予習をしてきてくれるのが一番ですが、なかなかそうもいかないので、授業内で解く時間を取ったり、生徒同士で教え合ってもらったりしています。

●「推される教員になる」という点について詳しくお伺いしたく存じます。教員に対する好き嫌いが科目の印象に影響するというのは自分自身の経験からしてもよく分かるのですが、教員と生徒との関係性は個別的なものでしょうし、あまりその点を意識しすぎると、生徒に対する安直な「人気取り」になってしまうのではないでしょうか。仲島先生のおっしゃる「推される」という点を私が理解し切れていないと思われるため、その点を詳しくお教えいただきたいと思いました。

仲島 確かに人間同士の相性というものもありますし、個人的な人気取りに走ってもあまり意味がないと思います。ただ、最も避けなければならないのは、教員の言動が生徒を古典から遠ざけてしまうことだと思います。「あの先生が面白がっているからには、きっと何か面白いことがあるのだろう」と生徒に思ってもらえるような教員になること、そのためには教員自身の古典に対する知識と愛情が必要だろう、ということが「推される教員」という言葉で申し上げたかったことでした。

●青山学院大学に在籍しているハゴンウと申します。高校という教育現場において、実物の和本に触れられる場所についてはどのように紹介されているのでしょうか。例えば和本が買える場所(神保町などの古書店がある場所)や図書館や機関など(国立公文書館など)

仲島 実物の和本に触れられる場所は紹介できていません。ハゴンウさんが文学通信のブログで連載してくださっているコラムは入口として大変参考になりますので、今後紹介してみたいと思います。ありがとうございます。

●私は公立高等学校に勤めております。活用暗記からの本文は難しいというお話を聞き、はっとさせられました。そこで質問なのですが、活用表を見ながら本文を読んでいくというものは生徒による授業の予習段階ではなく、授業の中で行っていく方がいいのでしょうか。

仲島 最初は授業の中で一緒に行い、段々と予習の時にも一人でできるようになっていくという感じでしょうか。そしてそれをテストの中でやらせてあげてもいいのではないか(特に学習し始めの学年・学期では)ということです。

◉こてとも意見交換会への質問
WEBフォームへお寄せいただいたご質問への登壇者からの回答です。

●プロジェクト科目履修生さんへ
 くずし字の解読を中学(高校)の授業で扱う目的は、古典に対する興味付け以外にあるのでしょうか。実際にくずし字を解読するスキルを身に付けるところまで生徒に求めておられるのでしょうか。


プロジェクト科目履修生 今回発表した授業の目的は、くずし字を通して古典作品に興味関心を抱き、自発的に古典に触れたいと思ってもらうことでした。

●登壇者の皆さんへ
 古典に親しむための方法などについては大変勉強になりました。一方で、一歩踏み込んで、例えば文法学習や現代語訳を超えて作品の「読みや解釈」の面白を伝える工夫として実践されていることがあれば一つ二つ教えていただきたいと思います。


岩崎 発表で百人一首の翻刻を活用した協調学習について触れましたが、各グループに配布されたの和歌A・B・Cには「恋」という共通点があるということを見つける学習も含まれています。和歌が単なる「歌」なのではなく、人の思いを伝えるものだということ、人が人に思いを伝える場面とはどんなことが考えられるか(恋愛、季節の便りなど)というところまで学習します。八代集の和歌は自然を詠み込んだ歌と、男女の恋を詠み込んだ歌が中心になっています。こうした学習が和歌の修辞法だけではなく、歌物語などの学習へとつながっていくと思います。

江口 『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を題材に、良秀の行動の評価をするという課題をやりました。『十訓抄』における良秀の評価、近代以降の全集における解説を資料として一覧にし、時代ごとに良秀の評価が異なることを確認した上で、自分はどう評価するかを考えさせました。他にも『天徳内裏歌合』の平兼盛と壬生忠見の歌の判詞を作るという課題もやっています。二首とも百人一首にとられている歌ですので、歌論や百人一首の古注釈における評価、現代の研究者の評価、現代の詩人の評価を一覧にしてしめし、根拠をもってどちらを勝ちとするか論じてもらいました。

加藤直 『古今集』の歌をくずし字で読んだ後、掛詞を見つけ、それを踏まえた和歌の解説文を作るという授業を中学で行いました。(『古代文学研究第二次』第30号(2021.10)に実践報告が掲載される予定です)

●有田祐輔先生へ
 本日発表された挑戦的な実践を行うためには、別の教員が持つ他クラスとの進度・内容調整が非常にネックになってくると思われるが、そのあたりをどのように行っているのかが気がかりである。例えば、私も、単元ごとに興味深い(と思われる)発展的な教材を積極的に導入しているつもりだが、それは他クラスの進度を見ながらなんとか空き時間を作って行なっているというのが正直な現状である。同僚がいわゆるサラリーマン教員である可能性もある場合に、どのように他教員と折り合いを付けながら古典に親しむような授業を実践していくのかについて、お聞きしたく思う。


有田 自分だけ進度や試験範囲を逸脱することがないように心がけ、試験問題も作問範囲を分担して、できるだけ共通問題を作るようにしています。その中で何とかアクティビティや発展教材をねじ込むために、私も授業スピードを速めているのが現状です。ただ、発表でも触れたように、できるだけアクティビティや発展教材の中で既習の学習内容の確認をするようにしています。スライドでお示しした『鴻門之会』では、途中まで一緒に読み、あとは漢文法テキストや辞書を使いながら自分で読み、グループで訳(内容)を確認してから動画を作成する、という形式を取っています。最近では、『和泉式部日記』「夢よりもはかなき……」を通常四時間予定のところ三時間で終わらせ、別の章を自力で読ませる、という発展課題を課しました。「夢よりもはかなき」の授業では、日記だというのに(実際、『和泉式部物語』とも言われますが)場面が急に転換して、帥宮の邸に変わる、そういうこともあって主語の把握をしっかりしていかないといけない、古典常識がないと読みにくい、作者が第三者視点から自分を描いているように読めるところがある、などを指導したので、そこをポイントに、復習だと思って読んでみて、と投げかけました。精読ばかりを続けてやるより、少し変化を付けたほうが記憶にも残りやすいようです。そもそも、50分(本校は65分)の内容を全員がすべて覚えて帰ることなんかできないし、その日覚えていてもどうせ忘れるので、それなら変化をつけたり、発表で申し上げた「引っ掛かり」を作って、後で振り返った時に思い出せるポイントを増やしてやる、あわよくば家に帰って教科書を開いてくれたら、関連ワードを「ググって」くれたらいいなというスタンスです。

●登壇者の皆さんへ
 古典に親しむ、「古典好きの生徒を増や」す取組を行う上で、実践報告や今後の古典教育についてのお話、さらには教材作成に活用できるデータベースの使い方など、大変勉強になりました。
 第1部の仲島ひとみ氏の基調講演では、「本当に必要なのかと言わせない古典」を目指すなかで、生徒の内発的動機付けに着目され、それを果たす上でDeci&Ryanの自己決定論における「Competence(有能さ)」、「Autonomy(自律性)」、「Relatedness(関係性)」を満たす授業づくりについて述べられていました。
 例えば、Competenceの項目における、「活用表を参照しながら読む」として「スモールステップ」を作ることで、生徒に成功体験を獲得させやすくする取組については、改めてその重要性を認識することができたように思えます。また、Autonomyの項目にある「全文音読チャレンジ 自分で決める 選ぶ!」につきましても、音読そのものの有用性は私も認識しているつもりでしたが、「選択や工夫の余地」を残す上で生徒に「好きな作品を選」ばせるという点は大変興味深いものでした。また、Relatednessの項目における、作品や歌人のほかに助動詞などで「「推し」を作る」という取組も同じく興味深いものでした。そして、こうした古典の授業を行う上での講演者の理念である、古いものに臆さずアクセスでき、プロパガンダ等に翻弄されない「社会的なワクチン」あるいは、市民を育てるという点にも共感いたしました。また、辞書や文法書等を用いつつも原文に直接触れるということは、現代語訳だけでは味わえない表現の豊かさにも触れられることになろうかと思います(吉海直人「原文を読むということ」(『
源氏物語入門〈桐壺巻〉を読む』KADOKAWA、二〇二一年三月、一六~一七頁)あるいは、同書の四六頁等)。そうした豊かさ、魅力をどのように、例えば鑑賞という形で高等学校において伝えていくことができるのか、私も考えていきたいところです。
 さて、ご講演についての質問といたしましては、例えばAutonomyの項目にある「全文音読チャレンジ 自分で決める 選ぶ!」やRelatednessの項目における作品や歌人だけでなく、助動詞などで「「推し」を作る」という取組を、単元のなかでどの時間に位置付けるのかがやはり気になりました。本日の研究会ではたびたび進学校で可能であるかという話題が上がったように、学校の各現場によっても実践の方法は変わってくると思います。今回挙げられたもののなかには今後行っていくものもあるかと思いますが、どのような時間として位置付けているのか、どのように行っているのか、どの学年で行っているかという具体的な実践の報告も拝見したく思いました。
 第2部における、三宅宏幸氏の「教材作成に活用できる古典籍データベースの使い方」に関しましては、中学校・高等学校の教員でもアクセスしやすいデータベースおよび、そうしたデータベースを活用した授業例についてもご紹介いただき、とりわけ【古方位】を学ぶ上で、桃太郎の昔話とも結びつけて「鳥山石燕画『今昔画図続百鬼』雨」を活用していたのは、大変印象的でした。今回のご発表は、センター長の山田和人氏が述べられた「古典の教材性」を考える上で、今後も参考になるものだと思いました。その上で、『おくのほそ道』(愛知県立大学長久手キャンパス図書館蔵)の活用方法については、もう一度説明を伺いたく思いました。
 第3の「こてとも意見交換会」につきましては、まず、有田祐輔氏のそれぞれの興味を持つ生徒たちに対して、各時間に「引っ掛かり」ポイントを作っていた「1年『伊勢物語』東下り」の例が大変印象に残りました。また、乾飯を作る上で、律令や『倭名類聚抄』を引かれていた点も、さまざま資料を実際に生徒の目に触れさせるという点で、魅力的なものだと思いました。その上で、なぜ律令や『倭名類聚抄』を引かれたのかについて、ほかに意図等があれば伺いたく存じます。また、後半に行われたICT派と、板書派の問題については、本日上がっていた話題のほかに、古典(古文・漢文)の時と、現代文の時ではまた話が異なってくるように思いました。古典はたしかにあらかじめ休み時間に板書を済ませ、その上でさらに解説を黒板に加えていく一方で、現代文は読み進めていくものであり板書も授業とともに進んでいくもののように思われます。現代文でのICTの活用についても、この機会に伺っておきたく存じます。


仲島 授業では文法や読解の確認もしなくてはいけませんので、楽しい活動をずっとやっているというわけにもいきません。アクティビティ的なものは導入やまとめの段階で入れることが多いです。「全文音読チャレンジ」については、長期休暇の宿題として全く丸投げしてしまいました。

三宅 桃太郎などの昔話については、大学の授業でも学生さんが興味を抱いて下さいます。『ONE PIECE』の桃太郎をモチーフにした設定や、『鬼滅の刃』が十干を隊士のレベルに用いるなど、日本の古典の文化が現代の漫画(創作)に利用されます。過去の文化が「脈々」と続いていることを、古典を学んで認識して貰えるとありがたいと思っています。『おくのほそ道』につきましては、くずし字で芭蕉の句を読むことで、また少し違った感覚を抱いて貰えるのではと思っています。また今回扱った『おくのほそ道』(愛知県立大学所蔵本)はくずし字で記されていますが、「板本」であるということを実際に見せることで、日本史で学ぶ江戸時代の「印刷」についても学ぶことができれば、国語と社会の横断的な勉強にもなるように思います。大学の授業で、「印刷や出版を日本史で学んだけれど、文学と関わると考えたことが無かった」というような感想を学生さんから頂いたりしますので、横断的な理解にも役立つかも知れません。

有田 ICTの活用について、シンポジウム中にも触れたように、私は情報管理委員を務め、iPadを二台所有し、参考書類はほぼすべてPDFでSSDに保存している(その他の書籍は紙派です)人間なのですが、授業は「板書の美しさを武器にしたい」、というこだわりもあって、超アナログです。といっても、授業でICTを活用する場面もないわけではありません。①よくある使い方ですが、カラー資料、写真などを見せたいとき。②精読せず、全体をザっと読ませたいとき。スクリーンに本文を映してスタイラスで書きこんで授業を進めます。③文法事項や漢文の句法について、用例、例題を映す。プリンとして配るほどではないけれども、さらっと複数の用例を見せたいときに便利です。もちろん漢文法書を開かせてもよいのですが、時間がない時には効果的です。③最近は、問題演習の際にGoogleフォームを活用した授業を行っています。たとえば共通テスト演習では、時間を計って問題を解かせた後、指定のフォームに解答を入力させればすぐにスプレッドシートやグラフで正答率を出してくれますので、それをスクリーンに映しながら、間違いの多い問題について解説をする、という形です。マーク問題なら、フォームを準備するのも楽(選択肢①~⑤を作るだけ)ですし、すぐに分析資料を出すと、生徒も「おおっ」と驚いてくれます。あとは冒頭にも書いたように、参考書等をPDF化してタブレットに保存しておくと、授業に行く際に荷物を減らせます。……しかし、こういうのってまだまだ学校に設備が整っていないので、「自費」なのが辛い所ですよね……世間では、コロナ禍で学校にオンライン授業体制が整ったように言われていますが、……ね。
 ICT活用、とくにスクリーンに映し出す形式をとる場合、生徒は「見るだけ」になってしまうことが多くまた、「分かったような気がしてしまう」状態にも陥りがちです。逆に言うと、「見せるだけ」「わかったつもりにさせてみる」使い方ができるということでもあります。漢文の句法などは、示してその場で完璧に覚えさせるというよりも、こういうことを覚えておかないといけないよ、できるようにならないといけないよ、じゃあ、副読本を使ってちゃんと復習しておいてね。という、課題の再確認程度に思って映しています。


岩崎 ICTの活用に関してですが、私の場合古典も現代文もほぼ全てICTを活用して授業を行っております。コメントいただきましたように、古典においては本文を板書する必要がないので、時間短縮につながるという利点があります。本文を間違って消してしまうこともないので、書き込みもし易いです。現代文は確かに、読みを進めていく中で板書を作り上げていくという点もありますが、単元目標をクリアするために抑えて欲しいポイントは必ずあります。そうした、「必ず押さえたいポイント」を中心に、ある程度の授業展開をスライド(授業プリント)で作っておき、授業の展開に合わせて書き加えたり、修正したりします。そうすることで、この単元で身に付けさせたい力や理解して欲しい点をしっかりと押さえつつ、目の前の生徒にあった授業展開が可能かと思います。発問や設問に対する回答をデータで提出させ、複数人を比較しながら検討するということも、従来の紙に書かせて回収する方法より容易に行うことが可能です。また、データで残すことができますので、生徒はいつでも見直すことができますし、考査前の勉強にも役立ちます。欠席生徒へ必要なスライドを配布するということもできます。一方で、機器を扱っていると生徒へ目が届かない時があります。私自身も黒板への板書と併用することもありますし、全てをICTで行う必要はないと思います。各校の通信環境や生徒の状況、教材によって使い分けたり、併用したりしてみてはどうでしょうか。使うことで見えてくる利点や欠点がありますので、試してみてください。

江口 ICTの活用についてですが、個人的にはICTの活用は古文より現代文で有効と思っています。それというのも、これは大きなスクリーンがあることが前提になりますが、実際に教科書の本文を示し、その教科書に書き込む形で言葉と言葉がどのようにつながっているのかを示すことができるからです。視覚的に文章構造を見せることができますし、学生も実際に教科書に「ここの問いの答えがここに書かれている」のような形で本文に書き込みながら授業を聞きますので、あとからでも復習がしやすいようです。リアルに「文章の読み方」を教えられると感じています。

加藤直 私の場合、現代文でも古典でも、普段の授業のほとんどは、従来通り黒板を利用しています。画像や動画などを見せる必要がある時には電子黒板も使います。一方、総合学習の際には、調べ学習などで、よくタブレットを利用しています。

最初に戻る

アンカー 1
アンカー 2

参加者からの情報提供

WEBフォームへお寄せいただいた情報(授業実践・関連図書・Webサイトなど)をご紹介いたします。

●高校教員
①高校の古典教材を用いての模擬裁判授業をしています。模擬裁判を経て古典作品を深く読み取りの授業をしています。「
法と教育」11号【2021年】に実践報告が掲載されます。

②古語辞書を毎時間の最初に引いて、好きな言葉を出し合う実践もしています。
ロイロノートシンキングツールを使用し、古語を分類しています。教科書や問題集には出ない古語の出会いが待っていますし、古語に興味関心を持ってもらうきっかけにしています。生徒の古語辞書は引いた頁につけた付箋だらけになっています。

​●中高教員
島根県公立の先生による歌物語創作の授業。松下佳代先生がよく講演で紹介しています。

●中高教員
漢文の授業で「故事成語劇場」の実践をしました。授業者が故事成語を買いた籤を作り封筒に入れ、4,5人のグループに一つずつ引かせます。その内容に当てはまる場面を3分程度の寸劇に仕立て発表してもらいます。戯曲を書く活動も新指導要領にありますし、生徒も活発に学んでいました。

●中高教員
古典世界への関心を高めることが目標。秘伝忍法書を班で読み解き、それを利用した寸劇を作成する実践。班ごとに別の忍術の解説(忍法書)が割り当てられ、解読ののち寸劇を作成させる。その上でそれを実演し、他班はその寸劇を見て忍術の概要を当てるというもの。生徒の多くに忍者についての既有知識があるため取っ掛かりやすく、しかもそれが資料によって覆される面白さがある。さらに言えば実社会を生きる上で役立ちそうな小技も含むため、あまり「現実離れ」していない点も魅力。ただし語彙がやや特殊である点が難点。

●大学教員
古典講讀の授業で古典語 (平安和文語) 作文を行なってゐます。講讀範圍に出て來た助動詞を使ってみたり、日記を書いてみたり。學生は結構樂しんでやってくれますし、意外と上手です。典型的な筆記試驗は解けずとも、ぼち〴〵知識は附いてゐるのかな、と思ったり。

●高校教員
大学生時代に
出前授業の論文(2016年のもの)を参照させていただきまして、題材を「浦島太郎」と「道成寺縁起」に置き換えて、小中学校で出張授業、ならびに大学生相手に模擬授業をいたしました。(中略)「浦島太郎」の方は大変好評でしたが、「道成寺縁起」は少しピンとこない様子でした(遠隔授業で、生徒とのコミュニケーションがうまくいかなかったのもあるかもしれません)。また、両者とも「くずし字が読めれば(内容がわかれば)面白いけど、読めないと難しいが先行する」という意見も大学生からいただきました。先ほど仲島先生もおっしゃっていたように、「読める」というCompetenceは非常に重要だと実感しました。

●高校教員
初学段階の生徒に対して、古典単語・文法を6種類前後のゲームを作成して組み合わせて反復演習して覚えさせる試みを実施しました。初学段階で忌避感を生まず、取っ付きやすさを感じてもらうことを狙ってのことです。偏差値30台前半が平均値のクラスでも「古典が楽しい」という声がよく出ましたし、別クラスでは休み時間にそのゲームをしだす子たちも出てきましたよ。

●高校教員

『古典がおいしい』という書籍が出ているので、今後も家庭学習の際などに有田先生の干し飯のように、課題とするのも面白いなと思いました。

●高校教員

超訳と名のつく本がたくさんあります。それらを参考にしつつ、本文の訳との比較することでなぜそうなるのかを考えたり表現を味わうことに使えるのではと思います。また生徒が本文を踏まえてより実感の持てる訳を作っていく場面を作るのも面白いのではと思います。

●中高教員
ご講演、意見交換会、ありがとうございました。現場に直結するツールを教えていただき、お知恵を授かり、大変有意義な時間をいただきました。わたくしどもの学校での実践を共有いたします。

①課題探求活動(高2個人研究)で。
国会図書館のデジタルコレクションを利用して、「浦島太郎」の江戸・明治の出版物、現代の英訳絵本の内容(絵を含む)の違い、考察。現在、もとにする出版物を選ぶ段階です。高校教員の力では指導が難しく、難航しております。「みを」ありがたいです。

②高校2年古文の授業で。「源氏物語」「桐壷」講読の後、桐壷・桐壺帝・桐壷の母・弘徽殿の女御になりかわって和歌を詠み(必ず序詞を使うように指導)、チーム戦で歌合わせ。生徒が詠む歌は、現代語の色合いがあまりに濃いことを課題に感じました。

③高校2年生漢文の授業で。「史記」「鴻門之会」の講読後、【推し】・【恋人にしたいキャラ】・【上司にしたいキャラ】人気投票と、数名の生徒による【推し】の魅力発表。「はんかい」と「張良」が人気を二分します。漢文も「和本」でできたらと希望をもっております。

④課外活動、企画遠足で。京都国立博物館の「
佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」の開催時、事前講義をして、生徒たちと鑑賞しました。佐竹本についてと、変体仮名の一覧表を見ながら、展示される和歌を詠みました。

●大学教員
国文学研究資料館のウェブサイトに、「国語の授業に使える古典籍」・「日本史の授業に使える古文書・史料」というページがあり、画像へのリンクが並んでいます。https://www.nijl.ac.jp/koten/image/

●大学教員
古典deプロジェクトさん (@KOTEN_de) / Twitter」に(愛知県立大学卒業生が絵を提供している)古典文学に現代文化を重ねたスタンプと豆知識が載っています。よかったら、ご覧ください。

最初に戻る

参加者の感想

●三宅先生、古典籍データベースの情報をありがとうございました。一覧でまとめていただいたことで、気軽にアクセスできるようになります。古典籍は(当たり前ですが)江戸版本のものが大量にあり、どの資料が高校で扱っている作品と関連付けられるのか、という審美眼が必要で、なかなかハードルが高かったのですが、教科書の古文教材にこだわらず、まさに「イラストを読む」感覚でチャレンジできればと思います。

●大変よくわかりました。著作権のことや授業で使う際の注意など細かい点のご配慮をいただきありがたいです。鬼門のお話などぜひ使ってみたいです。プラットホームは必要で本当に欲しいです。何卒よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

●くずし字の授業への導入は、私は学習指導要領中学校3年国語(書写)における「文字文化」を理解させるのに非常に効果的と考えていました。もちろん今でもそうですが、今日の先生の資料の中に美術分野が紹介されていて、それを見た瞬間、教科横断的な学習の展開について視野が広がった気がします。ありがとうございました。また、よろしくお願いします。

●素敵なイラストのカードを多数用意するのは大変だと思うので、インターネット上で募集・公開し、自由にダウンロードできるようにすれば多様な興味の幅に対応できるのではないかと思いました。

●登壇者の先生方、お疲れ様でした。古典を好きになってほしい!という先生方(学生の方々)の熱量がオンライン画面から伝わってきて、楽しく拝聴致しました。授業案で「推し」の話が出ましたが、これは教える教員側の「専門性」とも重なり合うような気がします。教える側が何か一つ深く探究していくこと(=「推し!!」や大好きなこと)を持つことが、授業を楽しくしていく第一歩なのかもしれません。本日ご教示いただいた発表内容や資料を元に明日からトライしてみたいと思います。ありがとうございました。

●私の勤務先は、多くの生徒が就職するレベルの学校である。そうした場では、よく生徒は「社会に生きていく上で必要あるのか?」といった声が多く聞かれる。また、それだけでなく「たのしいからなに?」「おもしろかったら何か得があるのか?」ということまでもきかれるところである。そうした生徒に対して、果たして「古典がたのしい」ということを伝えるだけで、古典の関心を喚起できるかそうか非常に懐疑的である。
 オタク的/サブカルチャー的な要素とのつながりを目指しているような傾向があるように思われるが、私の個人の感想としては、案外生徒はそうした漫画やアニメ、ゲーム等についての知識が少ないように思われる。私もそういったものが好きなので、よく授業中に取り入れはするのだが、紹介されていたような『呪術廻戦』や『Fate』シリーズ等はいわゆるオタクにしか通じないのではないかと感じられるようになってきた(もちろん一部の生徒からは絶大な支持は得られるが)。また、そもそも、漫画を読まない/読めない生徒も相当数いるので、そのようなことも考えれば、オタク的な要素を授業内に取り入れていくという戦略は、他の取り組みと比べてどこまで効果的なのかは疑問である(少しずれるし、杞憂かもしれないが、オタクいじめ等につながらないかという学校教育全体の問題にもつながってくる可能性も否定できない)。

●この会の企画内容・発表内容が「(前提として)古典が好きな国語教員・学生が、古典の魅力を語る」ものに偏っており、古典を高校で学ぶことに疑義を持つ人の立場にはまだまだなりきれていないと感じました。学習者主体で考えきれていません。本当に(前提として)古典が嫌い、あるいは興味がない人に振り向いてもらいたいなら、(迎合だと捉える向きがあるのも重々理解していますが)もっと受け手に古典を寄せて(噛み砕いて)やることが必要だと思います。文化的側面に偏りがちで、マニアックな方向に走りがちな状態では、古典学習懐疑派を抱き込むことは難しいです。批判的で申し訳ありませんが、現状のままだと古典学習の存続が難しくなることを本気で危惧しているからこその発言です。
 本来ならば疑われて良いはずの前提が疑われていないことに疑義を感じます。例えば「ICT利用」に関する着眼がありましたが、そもそも「古典においてICT利用を『何のために』するのか」「古典においてICT利用をすることは本当に必要なのか」といった前提が疑われた上で実践があるべきだと考えます。「ICT」ありきであったり、「教科横断」ありきであったり、疑われるべき前提を疑わないまま導入が推進されているものが多いので、(自戒も込めて)きちんと考えるべきだと思います。

●古典の指導に関する問題意識や古典の指導と向き合う姿勢について、多くの参加者の方々と共有でき、充実した一日になりました。ありがとうございました。

●本日はまことにありがとうございました。新規採用の高校教員でして、まだまだ職務に慣れません。毎日の授業を乗り越えるのに必死で、今回の意見交換にも出た黒板かプロジェクタかといったことにも試行錯誤を重ねています。そんな中でも、自分が大学までに得た古典の魅力を小出しにすることもあります。受験のためという教科の目的に気を取られがちですが、古典をもっと「私の好きなこと」として堂々と語ってもいいんだなと、登壇者の方々の発表から思わされました。「そういう視点があるのか」という事であふれた、大変有意義な3時間でした。本当にありがとうございました。

●初めての参加でした。大変参考になりました。次回も楽しみにしています。ありがとうございました。

●本日のご発表 ありがとうございました。ご登壇の皆様の様々な授業の工夫から、多くのことを学ばせていただきました。「偽源氏物語」から現代のゲームのキャラクターまで、いつの世も人々はアダプテーションして原作を楽しんできていたと思います。そんな風に文化を楽しむにつけても、そのもとの作品をきちんと読めていることは必要です。もとの作品の持つパワーを味わえるきっかけ作りが古典の授業でしょう。オタク的に先生の好きを全開するというご発言が最も良いと思います。
 今回のご発表された実践をコテホンの続編、『古典は本当に面白い!!』『古典は本当に役に立つ!』などのタイトルで出版してください。今、教育界では世代交代で若手の先生方が増えています。『言語文化』『古典探究』を初めて受け持つ後輩教員にむけてのエールとしてまとめていただければと思いました。是非、これからも新しい発想で魅力的な古典の授業作りを展開されることを期待しております。

●本日は貴重な御講演ありがとうございました。さまざまな実践の例をお聞きし、また、先生方の議論をお聞きして大変参考になりました。工夫の仕方次第で、古典学習の世界の幅が非常に広がり、様々な可能性に繋がることを改めて感じさせていただきました。自分の授業でも、色々創意工夫ができるように、今日のご発表や議論内容を今後参考にさせていただきたいと思います。

●「読める、読めるぞ」ムスカのあのことばと喜びはまさに自分の授業の中で大切にしてきたものだと再確認できました。さまざまなアプローチも大変参考になりました。ありがとうございます。積ん読だった「高校に古典は本当に必要なのか」を引っ張り出して読んでいきます。

●何人かの方も書いていらっしゃるように、古典嫌いの生徒(や、卒業生)もかなりいて、決してゼロにはならないであろう状況だとは思います。でも、「古典好きを増やしたい」という熱意と探究心こそが、古典好きをクラスに一人でも二人でも増やしていくことにつながるのだと気持ちを新たにしました。私自身は大学1、2年生を対象に、半期で古典テキストを1冊読み通す実践をしておりまして、「本が読み通せた!」「しかも古典を!」という〈達成感〉と共に、親しみやすさを感じてもらえるように心がけています。

●あっという間の3時間でした。素敵な企画、登壇者様、運営の皆様、ありがとうございました。次回も楽しみにしています。古典の「教材性」、非常に興味があります。「何の力をつけるためにこの教材を選んだのか」ということが古典は薄い気がします。そこが文法事項に寄ってしまうために面白くない、と思われることもあると思います。新課程の教科書を見ても、古典教材は代わり映えしません。もっとおもしろい教材があると思うのですが。それもまた古典が教科の中に生き残るために必要な視点だと思っています。次回に、大・大・大期待!です。

●興味深く素敵な授業実践や授業提案の数々を教えていただき、大変参考になりました。その一方で業務過多の現状を鑑みると、授業準備や事後の評価がさほど負担の少なくて済むような授業のお話も戴けると幸甚です。手応えのあったという授業実践や素晴らしい授業提案は、その準備の入念さや授業展開は教員自身の力量次第ということに係ってしまう場合も多々ありえます。勤務時間内に収まるような、さらには初任者からでも取り組めるような、多くの教員と生徒にとって持続可能な普段着の授業案を考えて話し合える場のご提供も希望いたします。どうぞご検討のほどよろしくお願いいたします。

●本日はありがとうございました。各先生の発表に考えさせられました。授業に活かしていけるように、勉強を続けていきたいと思います。何人かの先生が、辞書と文法書があれば自力で読める程度にすることを高校での一つのゴールに設定していらっしゃったのが印象に残っています。そこから自分が勤めている中学校でのゴールはどこにあるのか、改めて考えています。

●授業でよく学生に「いろんな生徒がいて、いろんな興味があって、何が・いつ・誰に・どんなふうに響くかわからないから、いろんなボールをいろんなタイミングで投げられるように」という話をします。と言いつつも、結局のところ私自身の知り得た範囲でしかそのための情報提供ができませんので、こういう形でさまざまな実践をうかがうことができ(そしてその前に基調講演として仲島先生の的確に整理されたお話を拝聴でき)、たいへんありがたかったです。ご発表や質疑の中で有田先生・江口先生の具体的なプリントを見せていただけたのも、とても参考になりました。貴重な機会を本当にありがとうございました。

●本日はこのような熱い、深い、愉しい会に参加させていただき、有り難うございました。本当に、参加させていただけてよかったと、この幸運を噛み締めております。
 仲島先生の論理的で重厚、かつ軽やかな御講演、国語教師として胸が熱くなりました。中でも、「推される教員になる」という金言に心打たれました。人と人との営みである教育活動において、それが原点であり核であると認識しております。
 三宅先生の古典籍データベースのご紹介も、現場の教員にとって本当にありがたいものでした。強力な武器を得ることができた、いや、ドラえもんになったような気分でおります。これからこの教えを生かし、生徒に還元していくことが、教壇のドラえもんの使命であると感じております。
 有田先生のご実践、非常に刺激的でした。まだお若いのにも関わらず、果敢に多様な学習活動の実践を積まれていることに勇気を頂きました。同じ若手ということで、いつかゆっくりお話しさせていただければ愉しいだろうな、と個人的に思っております。
 岩崎先生のご実践も非常に興味深く、愛のある授業だなと感じました。古典と生徒との距離を物理的に近く(知覚)することで、心理的にも近くする。私も積極果敢に実践していきたいと思いますし、「人生で古典を学ぶのが最後になるかもしれない」子どもたちに責任と使命を持って指導に励みます。
 江口先生のご実践も愛が溢れる内容で、思わず頬が緩みました。国語教師なるもの、つくづくよき職業かな、と思はるる心地ぞしました。「好き」を隠さないでいいというお言葉、多くの先生方に大きな翼をもたらしたのではないかと推察しております。
 そして、同志社大学の学生の谷口さん、上久保さん、三田村さんのくずし字授業の実践も、新鮮で刺激的で、このような学生の存在に頼もしさを感じました。私も、九州大学文学部国文学科で「
くずし字道場」と称した、地域の子どもたちに対するくずし字教室に携わっておりましたので、自分の学生時代を想起しつつ、お三方の柔軟でユニークな発想と行動力、実行力に感心いたしました。その姿勢には大きな学ぶべき点がありました。本当に、恵まれた経験を積まれているな、と思います。
 改めまして、このような貴重な会を設けてくださった山田和人先生、加藤弓枝先生、三宅宏幸先生をはじめ、諸先生方や関係者の方々に厚く感謝申し上げます。勝手ながら、全国各地に「仲間」を得られたような感覚を覚え、やる気に油を注いでいただけたような気でおります。次回もぜひ、参加させていただきたく存じます。そして、不肖未熟者ながら、恐縮ながら、また実践報告など発表の機会も恵んでいただければありがたいなと存じております。本日は、本当に有難うございました。

●仲島先生、貴重なお話をありがとうございました。三宅先生、モデルとなる教材の作成までお示しいただき、勉強させていただきました。またそれぞれのご実践をご紹介いただいた先生方、学生の皆さん、参考にさせていただきたいところがたくさんでした、ありがとうございました。
 自分は中学校教員なので、古典の学習も期間が限られたものですし、高校の先生方に比べるとずいぶん気楽に仕事をさせてもらっているな、と感じています。古典知識や仮名遣いなど、覚えさせないといけないものはあっても「古典に表れたものの見方・考え方」について(を通して)、自分なりの考えを形成させる、という授業の大枠が決まっているので、けっきょく古典を通じて自分自身のことに気づいたり、理解が深まったりと、国語の他の領域に比べて、生徒も負担感が少ないのか、生徒同士の交流も本人たちはおもしろいようです。
 今回のご実践は楽しい内容のお話が豊富でしたが、とくに進学校の先生方は動機付けの先には大学入試に通用するような正確な読解を見すえていらっしゃるわけで、ご苦労をお察しします。特別支援学校・学級における古典学習・地域教材の活用も、興味深いです。
 次回は古典籍についてということで、また楽しみにしております。古典の魅力が今日まで伝えられてきたのは、芸能が大きな役割を果たしているのは言うまでもないことなのですが、生徒にはなかなか実感できないことです。
 今回、サブカルがとりあげられていましたが、ラノベやゲームがアニメになり、そして「2.5次元」のステージに発展しましたよね。私は「能の華・能の舞台29番の珠玉の映像」という観世流のDVDを愛用しているのですが、古典芸能の映像教材の情報交換などができる場があるととてもうれしいです。とりとめのないままですみません、長文失礼いたしました。ありがとうございました。

●古典を学ぶことは人生を豊かにします。目先の事に捉われないで長い歴史的な視野から自分の置かれた状況を把握する力はこれからの予測不可能な社会に必要な能力ですし、なにより個人の物差しや批評性の確立は、その人自身の心の安定につながります。なぜ、原文を読む力は必要か。答えは簡単です。世の中にはデマも多くとびかっています。自分の目で本当のことを知る力がなければ、それらに騙されて一喜一憂することになります。同様に、これから高校生は情報(データサイエンス)が必須科目になるかと思いますが、数学が嫌いな生徒にとっては、つらいかもしれません。けれど、数字を使ったトリックに騙されないようにするという意味において、グラフ以前の一次資料を読む力こそが混沌とした社会を生き抜く力になります。たとえ、高校時代に古文文法も数学も完璧に理解できなかったとしても、そうしたことに触れて知っておくことが重要なのだということを話して、心理的プレッシャーをとってあげることも大事なのかなと思います。

●本日はありがとうございました。講演や意見交換会を拝聴するなかで、古典文学を手だてとして、学習者の価値観と伝統的価値観を相対化させることが古典学習の意義の1つだとあらためて感じました。そのために導入は多様であるべきで、最終的に「伝統的価値観の押し付け」だけが目標にならないような姿勢を教員が意識することが必要なのだと感じました。古典を教えること、そして古典を使って考えさせることを日々実践していきたいと考えます。

●さまざまな取り組みについて情報提供くださり、誠にありがとうございました。自分は国文科の卒業ではなく「崩し字」にはなかなか手を出しにくい状況でありました。が、インターネットの普及、素材のデジタル化に伴い、画像付きであれば、なるほど、楽しく取り組めそうに感じました。ほか、「推し」についても新鮮に感じました。こちらはすぐにでも取り入れることができそうです。

●意見交換会がとても活発で充実の内容でした。特に発表者の皆様の学校が、大阪や青森、名古屋など広範囲で、地域による授業内容の違いなども発表の中に見る事が出来ました。絵画教室を開いているので岩崎先生の五感で学ぶ古典の発表はとても興味深いものでした。皆様素晴らしい発表をありがとうございます。次回のコテキリを楽しみにしています!

●今回も非常に有意義なシンポジウムに参加することができました。登壇者の方々、運営の方々に感謝申し上げます。今回のご講演や実践報告で、古典教育の現場の一端を知ることができたと思っております。魅力的な実践ばかりで、こうした授業が実際になされているということは非常に重要だと感じました。
 私は大学院の修士課程に在籍しており、どちらかというと学術研究寄りの視点で今回のシンポジウムに参加しました。そういった中で、今回のように高校段階でこのような実践に触れた生徒たちが、卒業後どのように古典を意識するのか(もちろんそのような意識をもたないということもあるとは思いますが)が気になりました。というもの第一部の仲島先生のご講演でも触れられていましたが、やはり今日のこてほんに始まる古典教育の議論のポイントの一つには中学・高校での古典の授業の中身というのがあると考えています。つまり、古典教育の是非の判断を大きく左右するのは、各人の中学高校時代の古典の授業体験だということです。ここでの体験が大学、社会人へと進んだ後の古典への印象に大きく影響を及ぼすことは間違いないと思います。
 少し前までは古典の授業というと文法・品詞分解・訳読といったものに終始するといったイメージが先行しており、それが古典の授業の代名詞となっていた感は否めません。そうしたあり方への批判から学校教育において不要論を唱える流れが生まれてきたように思います。そこを真剣に受け止める形でこてほんの議論が始まったことからも、少し大仰な表現かもしれませんが、現在は古典教育の変わり目の時にあるのではないかと感じています。
 つまり従来の固定的な古典の授業のイメージを刷新することがまず求められているのではないでしょうか。これは確か以前の3月のコテキリの会でも言われていたことですが、いわゆる古典のファンを増やすということが必要だと思います。それらを踏まえた上で、今回のシンポジウムの意義を考えると、古典の授業に対する一般的なイメージを転換していく流れを作る一つのポイントなると確信しています。
 運営の方々もこれ以上の大局的な視野をお持ちの上で、コテキリの会を開かれていることと存じます。大学での研究という環境にいる身ではありますが、こうした会の活動は間違いなく学術研究へも影響を及ぼしてくるかと思います。次回も非常に楽しみにしております。重ねてこのような機会を設けていただいたことに感謝致します。

●大変興味深く視聴いたしました。個人的に考えていたことがすでに実践されていたことが分かり、大変心強く思いました。さまざまな媒体を通じて古典に興味を持ってもらおうとするには、手持ちの札が多い方がよいということを痛感いたしました。そのうえで、文法事項に対する興味・理解については、どのように進めていけばよいのか、という点につきましては、キャラクター化という例示があり、なるほどと首肯するとともに、そこから先に進めていく際に、従来の授業形態になってしまわないか、気になりました。このような点は、私自身の研究テーマとも関わるので、考えていきたいと思いますが、よいアイディアがございましたら、会の中で取り上げていただけるとありがたいです。

​●素敵な講演でした。授業実践のヒントをいただきました。勇気をもって授業改善に取り組んでみます。

●仲島先生の報告では2019年に開催された明星大学のシンポジウムから、現在のコテキリの会への流れが非常にわかりやすく説明されていてよかったです。どこに論点があるのか、何がかみ合っていなかったのか、まとまらないでいた思いがすっきりとしました。そしてここに至る経過の中で、全国各地の先生方が、それぞれの学校の特性に合わせ、工夫を凝らし授業を進めている生の報告が聞けて、実に有意義でした。
 資料もすぐに手に入れられ、まさに明日から使えるアイディアの宝庫でした。私の教えている高校では受験志向の生徒と、そうでなく楽しめればいいと考える生徒が混在していてそのバランスを取りながら授業をするのが難しいのですが、手をこまねいていないで、できることから実践して、自分なりのやり方を見つけていきたいと思います。
 同じような悩みを抱えつつも、前に進もうとしていらっしゃる先生方に背中を押されたような一日となりました。こういう機会を作ってくださった先生方にも感謝しています。これからも情報を伝え合いつつ、古典の未来を切り拓いていきたいです。よろしくお願いいたします。

SNS上の反応 
#コテキリ

最初に戻る

アンカー 3
アンカー 4
bottom of page